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予備試験R1憲法 解答例

1 乙校長が水泳の授業について代替措置を認めなかったことは、信教の自由(201項)に反しないか。

 

2 水泳の授業の履修を受けないという選択をする自由は、自己の信仰に反する行為を強要されない自由であり、信仰の自由として、201前段により保障される。

 

3 X日本国籍を有していないが、憲法上の保障は及ぶか。

 国民主権原理の下、国民とは日本国籍を有する者をいうところ、憲法3章は「国民の」としていることから、基本的人権の保障は外国人には及ばないとも思える。しかし、国際協調主義(前文参照)の観点から、権利の性質上日本国民にのみ認められると解されるものを除き、外国人にも基本的人権の保障が及ぶと解する。

 本件をみると、Xの制限されたのは信教の自由という精神的自由権であり、これは権利の性質上日本国民にのみ認められるものではない。

 したがって、Xにも憲法上の保障が及ぶ。

 

4 乙中学校の措置により、水泳授業の代替手段が認められず、X内申書の評価は低いものとなっている。しかし、校長の措置は、水泳の授業への参加自体を強いているわけでは無く、不参加自体は認められているのであるから、制約はないとも思える。

 しかし、内申書の評価は、進路の決定を左右する重要なものであり、現にX内申書の評価が下がることで高校進学を断念するという選択を余儀なくされている。したがって、Xの被る不利益は大きく、制約は存在する。

 

5 もっとも、信教の自由も、外部的行為を伴うものであるため絶対無制限のものではなく、公共の福祉(13)の観点から一定程度は制約され得る。では、いかなる審査基準を用いるべきか。

 まず、信教の自由は、個人の人格的生存にとって極めて重要なものである。次に、たしかに、校長の措置は、信仰に反する行動を強要したものではなく、信教の自由を直接的に制約するものではない。しかし、調査書の低評価により高校への進学を断念せざるを得なくなっているのだから、Xが被る不利益は極めて大きく、これを避けるには自己の信仰に反する行動を取ることを余儀なくさせられる。

 したがって、上記自由に対する制約が認められるか否かは、厳格に判断されるべきであり、上記自由を制約する目的がやむを得ないもので、手段が必要不可欠といえる場合には、合憲となる。

 

6 まず、代替措置をとらない理由として、教育の中立性に反するおそれがあることを挙げている。これは、代替措置をとることは、B教に対する「特権」にとなり、政教分離原則に抵触するとの主張だと考えられる。

 ここで、政教分離規定は、国家と宗教の完全な分離を目的としたものではなく、国家と宗教を制度的に分離することにより、間接的に信教の自由を確保するものである。そのため、国家との関わりあいが相当とされる限度を超える場合に限り、規制が必要であると考える。そして、相当とされる限度を超えるかは、当該行為の目的が宗教的意義を持ち、その効果が特定の宗教を助長・促進するものであるか否かにより判断する。

 本件をみると、水泳の授業についてA教の生徒に特別の配慮をしたとしても、その目的は信教の自由への配慮にあり、それだけで特定の宗教を助長促進する効果を持つとはいえない。

 したがって、校長の上記見解は妥当ではない。

 

7 次に、代替措置をとらない理由として、代替措置の要望が真に信仰を理由とするものなのかどうかの判断が困難であることを挙げている。しかし、B教の戒律は女性は顔や手など一部を除き肌を露出してはいけないとされているのだからB教を信仰しているかは容易に判断可能であり、聞き取り調査等によっても容易に確認することができる。また、代替措置を取ったとしても水泳授業への参加者が減少するのみであり、水泳授業参加者に不利益となる事情は無いのだから、公平性を欠くとはいえない。また、信仰を理由として代替措置を希望する生徒は、せいぜいA国民の割合である4分の1にとどまると考えらる。

 したがって、目的がやむを得ないものとはいえない。

 また、Xが代替措置として自主的に見学しレポートを提出しているにもかかわらず、成績評価の際にこれを考慮していない。さらに、内申書の低評価には不参加が影響していることが明らかであり、それにより高校に進学できないという著しく不利益を被っている。したがって、代替措置を一切とらないことは手段として過剰であるといえ、手段が必要不可欠とはいえない。

 以上より、目的がやむを得ないもので、手段が必要不可欠といえないから、上記措置は違憲となる。

以上